2010年代読んだ本個人的まとめ(院生期間で読んだ本まとめ)
みなさん、どうもこんにちわ。
長文書くようブログで久々に更新します。
今日はね、もう2020年なんですけど、2010年代に僕が読んだ本をまとめていこうかなと。
全部のまとめはここにあります。https://bookmeter.com/users/175997/books/read
記録が読書メーターからなので、2012年なんですけど、これは当時修士課程に進学した頃と一致しています。
丁度八年後ぐらいで今D5ですねえ。僕も30才の非正規になってしまいました。
計699冊だそうで。
えー、文学系博士課程なのにそんなもんなの!?という人→そんなもんです。
ふうん、まあ一応十年間で千冊ぐらいは読んだんだという人→みんなそうです。
じゃあ、一年ずつやっていきましょうかね!!
◇2012年。
学部卒論のための読書からはじまります。
バルザック『従姉ベット』
たいしておもしろくないし、長いんですが、論じようと思った小説に引用してあったんで読んだんですよね。
いわゆるキャラ立ちで書いている小説なので、あーバルザックの脳内にはすっぽりパリの街があったんだなーと思うには有効な読書。
で、読書記録を意識したこともあって2012年はハイペースで進んでいきます。
当時UFOSF小説を書きたい願望などあったので、「美しい星」なんかも読んでます。
モダン系作家の中ではわりかし読みやすいジッドもおもしろかったですねー。
◇2013年
そんなこんなでM2となった僕は気合を入れ過ぎてすこし低落モードに入ります。
はじめて学内に論文を投稿したのもこの頃でした。
こっそりネタ本にドゥールーズなんかも使ってました。
今に至るまで、思想の基礎になっている本です。
こうしてみると、読み捨て本と今も影響が続いている本が歴然ですね。でも当時判断することは無謀だと思います。
ボルヘスにもはまりはじめます。
ていうか、もう生活に疲れてきてモダン短編読書を好んだ頃ですね。
勿論、ボードレールとかもあります。
この頃左翼としてちゃんとしなきゃということでマルクスを読んでいます。
まあ、聖書みたいなもんでそんな運動やってる人にも読んでる人少ないんですけど……。
ポストコロニアルにも手を出します。
当時、艦これやりながら、延々ポスコロ関連書読んでたことを思い出します(本当はいけないんですが)
そして、クロソウスキーの思想にどはまりします。
エロいので。エロいけど、これは奇書とか猥書なので注意です。おもしろいけど。
◇2014年
こうした読書的放蕩がたたってか、僕は院浪をします。
こういう時に「長い名著を読むといいよ。もう今後は時間ないよ。」というアドバイスを真に受け、長い本ばかり読んでいます。
よくカラマは20才までに読めとか、25才までとか、30までとか、一生で読むか読まないかとか言われますが、当時24才でしたので、革命家としてギリギリセーフです。
好きな時に好きな本読めばいいと思うんですけどねー。
この本のイワンにめちゃくちゃ影響を受けます、後には自分が妄想にうなされたり、精神的熱病になったりします。
とにかく長いポストモダンとかマジックリアリズムとかの小説を読んでいますねー。
書籍費も馬鹿にならんでお腹めっちゃすきました。
ソンムの霧の中に消えていこうという時、先輩が電車で言っていた言葉を思い出します。
「そんなにいっぱい本読んで人生が打開できるの?」
僕はこの年、母校の院試に落ち、地元国立の博士に進学し、知性的極限の自殺を遂げたとでもいうべきでしょう。
もっとちゃんと言うと難しい本ばかり読んで気も狂わん気分だったよ。
◇2015年
愚者が救われる話。D1はこれだけを慰めにしていた気がする。
この頃になると授業の課題図書みたいなのが多くなってきます。
これでだいぶ批評理論と名作を学びなおしたかなーと。
相変わらず、二時まで起きて日に二冊批評理論の太い本こなしたりしてましたね。
やっとジェンダーポスコロ以外の左翼的理論にもふれることができるようになってきます。
この頃、雑読乱読はやめ、自分の分野の研究書を100冊読むことを目標にするようになります。
論文を書くための読書に集中しはじめます。
◇2016年
一番精神的につらかった時期ですね。幻覚みえてました。瞑想はじめました。
雑誌読書とかをしらみつぶしにやることを覚えはじめました。
これが後に論文の馬力になってきます。
やっと本多勝一と出会い、論文の文章がマシになっていきます。
文章書きはこの本は必読です。このブログは書き散らしてるけど。
そして、死霊を一週間にわたり、読み続け、先生に「何してたの?」と聞かれ、「死霊読んでました」と答えて怒られます。
◇2017年
D3でしたが、研究者としてのやっと成果がではじめます。
当時もう下火だったロスジェネと共闘しようとしてみたり、迷走のあとが見られます。
なんだかんだで、自殺した知性をもって虚無的に作品生成を見つめる、という自己の研究方法が確立されたのでした。
そして、自分の論文を書くためには、万巻の書物を読み終わらないといけない、そして、万巻の書物はいずれにせよ僕の能力では読み終われないと結論します。
限界を定めて読書するのがコツであると。
◇2018年
というわけで成果も出たので非常勤で多忙になります。
このような知性的仮死の読書姿勢を肯ってくれたのが以下のような本でしたね。
ですが、やはり働くと読書量は激減します。
ここまで年間百冊できてたのに、この年は三十冊程度だったんじゃないかなあ。
社会に出るっていうことはこういうことなんですね。
◇2019年
非常勤のコマ数を減らし、論文執筆に挑みます。
自然参考図書も増える。
最後に辿り着いた思想が社会運動の社会学みたいな感じですね。
個人的にビジネス書をいろいろ読んで、対策をたてることで、問題を打開する術を学びました。
色々と社会化されたかなと。
学術雑誌もたくさん読むようになりましたね。和雑誌で登録されているのはみなコレです。
◇まとめ
僕の意見は三年前くらいからなんですけど、本を読んでいる自慢をする人間ほど、そんなに読みこなせていないと思います。
確かに食うのが全てではないけど、崩壊本棚さらして、無駄だったーと言うのは、怨恨だろうと。
もっと受け入れてもらう努力をすべきだろうと。
これから僕がどういう人生になるのかはわからない(別にずっと非正規かもしれない)ですけど、それが結論ですね。
あと、院生にとって、本みたいな知識が全部いらないんじゃないんだ、ということも学びました。
いずれにせよ、自分の知性が試されるタイミングというのはあるので、その時出せる何かを持っているかどうかは大きいですね。
コツが全てでもないし、知識が全てでもないというか。
だから、これからも、働きながら、時間見つけて、いろんな本は読んでいきたいとは思います。
人生まだ三十年ぐらいあるんですから。