2010年代読んだ本個人的まとめ(院生期間で読んだ本まとめ)
みなさん、どうもこんにちわ。
長文書くようブログで久々に更新します。
今日はね、もう2020年なんですけど、2010年代に僕が読んだ本をまとめていこうかなと。
全部のまとめはここにあります。https://bookmeter.com/users/175997/books/read
記録が読書メーターからなので、2012年なんですけど、これは当時修士課程に進学した頃と一致しています。
丁度八年後ぐらいで今D5ですねえ。僕も30才の非正規になってしまいました。
計699冊だそうで。
えー、文学系博士課程なのにそんなもんなの!?という人→そんなもんです。
ふうん、まあ一応十年間で千冊ぐらいは読んだんだという人→みんなそうです。
じゃあ、一年ずつやっていきましょうかね!!
◇2012年。
学部卒論のための読書からはじまります。
バルザック『従姉ベット』
たいしておもしろくないし、長いんですが、論じようと思った小説に引用してあったんで読んだんですよね。
いわゆるキャラ立ちで書いている小説なので、あーバルザックの脳内にはすっぽりパリの街があったんだなーと思うには有効な読書。
で、読書記録を意識したこともあって2012年はハイペースで進んでいきます。
当時UFOSF小説を書きたい願望などあったので、「美しい星」なんかも読んでます。
モダン系作家の中ではわりかし読みやすいジッドもおもしろかったですねー。
◇2013年
そんなこんなでM2となった僕は気合を入れ過ぎてすこし低落モードに入ります。
はじめて学内に論文を投稿したのもこの頃でした。
こっそりネタ本にドゥールーズなんかも使ってました。
今に至るまで、思想の基礎になっている本です。
こうしてみると、読み捨て本と今も影響が続いている本が歴然ですね。でも当時判断することは無謀だと思います。
ボルヘスにもはまりはじめます。
ていうか、もう生活に疲れてきてモダン短編読書を好んだ頃ですね。
勿論、ボードレールとかもあります。
この頃左翼としてちゃんとしなきゃということでマルクスを読んでいます。
まあ、聖書みたいなもんでそんな運動やってる人にも読んでる人少ないんですけど……。
ポストコロニアルにも手を出します。
当時、艦これやりながら、延々ポスコロ関連書読んでたことを思い出します(本当はいけないんですが)
そして、クロソウスキーの思想にどはまりします。
エロいので。エロいけど、これは奇書とか猥書なので注意です。おもしろいけど。
◇2014年
こうした読書的放蕩がたたってか、僕は院浪をします。
こういう時に「長い名著を読むといいよ。もう今後は時間ないよ。」というアドバイスを真に受け、長い本ばかり読んでいます。
よくカラマは20才までに読めとか、25才までとか、30までとか、一生で読むか読まないかとか言われますが、当時24才でしたので、革命家としてギリギリセーフです。
好きな時に好きな本読めばいいと思うんですけどねー。
この本のイワンにめちゃくちゃ影響を受けます、後には自分が妄想にうなされたり、精神的熱病になったりします。
とにかく長いポストモダンとかマジックリアリズムとかの小説を読んでいますねー。
書籍費も馬鹿にならんでお腹めっちゃすきました。
ソンムの霧の中に消えていこうという時、先輩が電車で言っていた言葉を思い出します。
「そんなにいっぱい本読んで人生が打開できるの?」
僕はこの年、母校の院試に落ち、地元国立の博士に進学し、知性的極限の自殺を遂げたとでもいうべきでしょう。
もっとちゃんと言うと難しい本ばかり読んで気も狂わん気分だったよ。
◇2015年
愚者が救われる話。D1はこれだけを慰めにしていた気がする。
この頃になると授業の課題図書みたいなのが多くなってきます。
これでだいぶ批評理論と名作を学びなおしたかなーと。
相変わらず、二時まで起きて日に二冊批評理論の太い本こなしたりしてましたね。
やっとジェンダーポスコロ以外の左翼的理論にもふれることができるようになってきます。
この頃、雑読乱読はやめ、自分の分野の研究書を100冊読むことを目標にするようになります。
論文を書くための読書に集中しはじめます。
◇2016年
一番精神的につらかった時期ですね。幻覚みえてました。瞑想はじめました。
雑誌読書とかをしらみつぶしにやることを覚えはじめました。
これが後に論文の馬力になってきます。
やっと本多勝一と出会い、論文の文章がマシになっていきます。
文章書きはこの本は必読です。このブログは書き散らしてるけど。
そして、死霊を一週間にわたり、読み続け、先生に「何してたの?」と聞かれ、「死霊読んでました」と答えて怒られます。
◇2017年
D3でしたが、研究者としてのやっと成果がではじめます。
当時もう下火だったロスジェネと共闘しようとしてみたり、迷走のあとが見られます。
なんだかんだで、自殺した知性をもって虚無的に作品生成を見つめる、という自己の研究方法が確立されたのでした。
そして、自分の論文を書くためには、万巻の書物を読み終わらないといけない、そして、万巻の書物はいずれにせよ僕の能力では読み終われないと結論します。
限界を定めて読書するのがコツであると。
◇2018年
というわけで成果も出たので非常勤で多忙になります。
このような知性的仮死の読書姿勢を肯ってくれたのが以下のような本でしたね。
ですが、やはり働くと読書量は激減します。
ここまで年間百冊できてたのに、この年は三十冊程度だったんじゃないかなあ。
社会に出るっていうことはこういうことなんですね。
◇2019年
非常勤のコマ数を減らし、論文執筆に挑みます。
自然参考図書も増える。
最後に辿り着いた思想が社会運動の社会学みたいな感じですね。
個人的にビジネス書をいろいろ読んで、対策をたてることで、問題を打開する術を学びました。
色々と社会化されたかなと。
学術雑誌もたくさん読むようになりましたね。和雑誌で登録されているのはみなコレです。
◇まとめ
僕の意見は三年前くらいからなんですけど、本を読んでいる自慢をする人間ほど、そんなに読みこなせていないと思います。
確かに食うのが全てではないけど、崩壊本棚さらして、無駄だったーと言うのは、怨恨だろうと。
もっと受け入れてもらう努力をすべきだろうと。
これから僕がどういう人生になるのかはわからない(別にずっと非正規かもしれない)ですけど、それが結論ですね。
あと、院生にとって、本みたいな知識が全部いらないんじゃないんだ、ということも学びました。
いずれにせよ、自分の知性が試されるタイミングというのはあるので、その時出せる何かを持っているかどうかは大きいですね。
コツが全てでもないし、知識が全てでもないというか。
だから、これからも、働きながら、時間見つけて、いろんな本は読んでいきたいとは思います。
人生まだ三十年ぐらいあるんですから。
『ムショクリリック』感想――山の中の無職
こないだ東京に行ってどかいさん@dokai345 と鳥貴族へ行ったら、ムショクリリックが貰えた。
せっかくなので遅かりながら感想を書いておこうと思う。
〇磯崎愛『四月になればムショクは、または奥様は魔女じゃない、目下のところ』
主婦ではなく、無職と名のりたいと考える人の小説風手記。
なんだか接客スキルやコミュニケーションスキルはある人らしいが、どうもそれが社会生活を営む上でうまく機能しないらしい。
その辺が僕のような虚無型無職、ないないずくし――嗚呼友達ゃいねえ、嫁いねえ、職はそれほど働いてねえ――の人間には想像しづらかった。
「小説を書け」という勧めは、無職は医者にはよく勧められる。
「どっぷり小説のこと十何年考えた挙句、ろくに小説書けません。
これだけ文章読んでこれだけ書くのが下手なのは、僕だけだと思います。」
と医者にがなりたくなるが、まあ、テロに走るよりは、小説家になるという野心はお勧めできる選択肢だ。
政治的な解釈だが、この人の無職感はジェンダーに起因しているのではないだろうか。
主婦や家事手伝いにはどうしても成りたくないという意志、あるいは成れないという状況。
絲山秋子や笙野頼子がニートものを連続して書いているし、僕が読んだ現代女性作家でも非正規労働の作家は多かった(津村紀久子とか)。
何かそういう、不定形の、認識不能のバイアス、かと言って社会に還元できそうにもないバイアス。
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〇窓際冬子『アダルトビデオ製作者の日常』
本当にモザイク消しのバイトってあったんだ、いや、まあ誰かが消さないといけないしな…、とういエッセイ。
デスクワーク作業らしいが、ここ半年近くバイトでさえもやっていない僕にはそれすらつらそう。
「この仕事してると男に腹たってくる」の章が面白かった。
先輩との休憩時間の何気ない会話に本質があり、ああ、この先輩もこの後は黙々と仕事するんだろうな、みたいな日常感。
モザイクは傷つく女性を隠すこともあり、「モザイクってありがたいんだ」が執筆者の結論だが。
なにか労働者こそが真実を見ているという設定はニューロマンサーや士郎正宗の世界だ。
〇寶達揉由『個として切れるための読書術』
ニューアカを知的であることとポップであることの連帯と読む。
その上で30年代の横光利一の発言から、尖端とは退屈なものであると結論する。
横光の尖端は退屈との言は言い得て妙で、何かしら二十世紀時間論的な解釈が隠されているのか、
はたまたハイデガーやアランの引用なのやら迷う。
それならば横光の段階に知とポップの連帯もまた隠されていたわけだ。
そのポップの退屈から逃れるために執筆者は読書術を主張するのだが。
それがドイツ系教養主義とは反する「修養」なのである。
この「修養」については僕も一家言ある。
知識人を累出してきた教養主義とは違い、修養とは民間の、サラリーマンの、天皇制下の、庶民の倫理や生活知という側面が強い。
宮沢賢治を牽引した島地黙雷から資本家増田義一、植民地リベラル新渡戸稲造の修養書まで、もっとも修養の語源は漢書なので、口承としての修養は遡るのだが…。
結局、戦争と接続されて修養主義はうさんくさいものになってしまったのだが、執筆者の結論はよく見えなかった。
〇めんげれ『僕を救ってくれなかった東浩紀へ』
僕は東クラスタではないので、いまいち盛り上がれなかったのだが、少しクラスタの現況が耳に入ったようで、なんとなく無聊が癒される。
精神分析全般が手をだすと大他者論になって、どんどん隘路に追い込まれていく気がする。
とはいえ、僕もそんな気分になる時はある。
フロイトは随分不幸な人だったように思い、僕はドゥルーズ以来精神分析全般を人を足萎えにさせてしまうものとして、なんとなく信用できない思いがある。
認知心理学療法とかならまた別の結論も出そう。
〇yasagon『青年よ、サブカル俗流教養主義を捨てて、同人誌で射精しろ!』
シニカルに振る舞い、サブカルツイートするより、射精報告するTwitter界隈のほうがクールという論旨。
ポスト宇野常寛が探し求められているのだが、僕はある時期から知識人と大衆というような構図が受け付けなくなったのだなと思った。
吉本隆明のような原像をもった批評というようものが、突き崩されて、何もなくなったような印象。
一方、大衆はポストマルクス主義的に分断されて、誰にも総体として捉えられなくなり、かと言って大衆がクールなものを追い求めるのは普通の感性だろうとも思ったりする。
私事だが、とかく最近Twitterでつぶやくことが思いつかない。
曖昧な日常ツイートをぽつぽつとしたりしなかったりするのだが、(だってお前ら俺が本気で文学ツイートしても2ふぁぼぐらいしかしないじゃん!)
安保法案が可決した日も一日中鬱で江口渙の肺病とか思い出して、知識人もかわいそうな生き物であることを思い起こしたりした。
人間は良心的であることを追い求めてほしいので、ネット右翼ツイートが流れてくるたび腹立たしいのだが、まあ右翼の知識人もこれから生まれてくるかもしれない。
まあ、僕は射精報告まで正直になれないですよ。
オタク的ホモソーシャルにも絶望している気分だし。
〇うらしま左近『ムショクとなにもしないということについて』
なにかをするということに価値がないのなら、なにもしないということについて価値を求めるムショクは革命であるという論旨。
全体を見て思うのだが、滝本竜彦的ファッション無職、ファッション引きこもり
――彼は大学から引きこもり、更にはジャンプを買いに出ていけるし、バイトもできる引きこもりであった――
が少ない。
無職歴も長く、筋金入りの引きこもりたちばかりだ、信用に値する。
僕は院浪していた頃、ツイキャスを見ていたのだが、突待ち不登校女子が百人ぐらい集めてたりとか、それはまあ、恐ろしい界隈だった。
でも、挫折した自分には、ネットで声望集められるだけで、金にはなんないかもしれないけど、何らかの才能なんだよと思えてならなかった。
ネットは社会で認められない才能を認める受け皿なのか、それとも虚無を産んでいるだけなのか…。
〇たつざわ『ムショクのための節約術』
いや、そこまでするなら、働いて、収入を増やそうよ!とツッコミたくなる節約術
生活術でなく、節約術であるあたりが、確かにクール
〇どかい『青春の終焉、ムショクのはじまり』
三十歳で無職を迎えた執筆者のあとがき的なもの。
執筆者は人生の物語のなさというものが耐えられない問題とされていたらしい。
僕もまあ、自分がいつか報われるだろうということを信じる大学院生なので、将来は不安だったりする。
果たしてこれから自分が生き残れる保証は周りでこれだけ人が挫折している中であり得ないだろうと思うのだ。
特権的であるわけはないだろうと思うのだ。
神は自分を愛してはいないだろうと考えるべきだと説いたのはヴォネガットだったか。
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なにものでもないという感覚は悪いものではない。
無職はアイデンティフィケーションの絶対的な不能性の前で立ち止まることができる。
僕も大学院生続けていてついに自分の院生という肩書が信じられなくなった。
親は二六歳で無収入なら無職みたいなもんだろと思っているし、周りは全員就職してフルタイムで働いている。
魯迅は政治から文学を志し、結局本格近代長編も書けず、政治や中国にも絶望し、なにものでもなくなった「寂寞感」を「阿Q正伝」で書いた。
彼は文学者でも政治家でもなく、時空間にどこにも存在しなかった。
アイデンティティや本質なんてイデオロギー的虚構なのである。
それを問題として書いた点で、魯迅はカフカやブリューゲルを超えた。
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山の中の無職通信でこの感想録を締めたいと思う。
僕はいま、博士課程のわずかばかりの授業に出つつ、バイトもせず、大学のある山間に閑居し、会いたい人のみに会う生活を送っている。
生活は規律正しく、それを真っ当な更生生活と言えばそうなのだろう、でもそれを信じる気にはなれない。
論文はあるが、定期的に在宅作業でやればいい。
性欲にもさほど悩まされない。
山間の仙人のカウンセリングしか受けない、禅的な雪舟の山水画みたいな生活を送っている。
世間に駆り出されるかもしれないが、嫌でしょうがない。
なんとはなしに、そんな山水画のような、虚無的な、エントロピーの安定した、霞の中に描線が消えていく世界に生きている。
また、楽しからずや。
備忘録とアウトライン
「村の家」の中の孫蔵の言葉に「しかし百姓せえ。三十すぎて百姓習うた人アいくらもないこたない。タミノじやつて田んぼへ行くのがなんじやい。」と宣告した後に、「食えねや乞食しれやいいがいして。それが妻の教育じや。」と続ける場面がある。東京なり京都、大阪の都市生活者であり、大学にまがりなりにも籍を置く我々がこの時想起しがちなのは、都市で職を失い、路傍の人となる未来であり、あるいは故郷の父母の叱責であろう。蓋然性としてある都市インテリの悲哀は、想像に難くない事象である。それが妻を持ったのち共に乞食になる、と言う像なら殊更自身の罪悪感も強まってくる。
人文学の知の価値保存、あるいは人間的倫理の啓蒙と言う偉大な役割が、ルネッサンス以降ヨーロッパ大学組織を中心に付与されてきたとしても、十九世紀近代以降の大学に一方では都市インテリの雇用のセーフティ・ネットとしての役割があり、彼等の浮浪者への脱落を防いできた事実はある程度認めざるを得ないだろう。戦後になるが、宮出秀雄『ルンペン社会の研究』(一九五〇年、改造社)において、アナーキスト運動の流れを汲む反動として、「ルンペン・インテリゲンツィア」なる概念が提起されている。戦前の武田麟太郎の浮浪者を描いた市井小説など、それらの表象の代表的なものであろう。
日本近代文学研究の中で「文化研究」として主張された、カルチュラル・スタディーズの受容とそれに対する反論において、それらがアカデミズムにおいて成される日本近代文学研究の意義と実証性の有無、ひいては研究倫理も問題にしてきた事は明らかである。林淑美は、「最近の近代日本文学研究におけるある種の傾向について」(「日本近代文学」一九九八年五月)において、文化研究の「再生産」の概念に先行するものとして、戸坂潤の「生産様式」論があると指摘している。林の主張は大きな示唆を与えるものであり、本論の企図するところと大きな因果関係を持っている。戸坂は「無の論理は論理であるか」(『日本イデオロギー論』一九七七年九月、岩波文庫)において、ジャーナリズム哲学である西田哲学のアカデミズムへの流入を指摘している。ニューアカないしテクスト論に関した大学の事象を想起せざるを得ないが、端的に言えば規模の違いはあれ、ジャーナリズムとアカデミズムは日本において相克と流入を繰り返して来たのである。
西田哲学を弁証法ではなく、現象学であると規定づけた戸坂は見事としか言いようがないが、フッサールも学(ウィッセンシャフト)としての哲学的位置づけにこだわった。
しかし、もし諸科学がこのように、客観的に確定しうるものだけを真理と認めるのだとしたら、また歴史の教えるのが精神的世界のすべての形態や人間生活を支え拘束するもの、すなわち理想や規範は束の間の波のように形づくられてはまた消えてゆくものだということ、それはこれまでもつねにそうであったし今後もつねにそうであろうということ、いつも理性が無意味に転じ、善行がわざわいになるというようなことだけなのだとしたら、世界と世界に生きる人間の存在ははたして本当に意味をもちうるものであろうか。
(『ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学』一九七四年四月、中央公論社)
これらは二十世紀の学問の立ち位置を問うものであると同時に、双方それぞれ重要な示唆を与えてくれる。構造主義が文献解釈学のマルクス主義化に過ぎず、テクスト論もまたそれらの系類に当たるとすれば、近代日本文学研究が今一度「実証性」と「主観性」を問題にし、作者概念あるいはその本質主義を検討するのはあながち間違いではない。
ポスト構造主義が「作家の死」を半ば否定し、テクストの本質的な読解、あるいはその本質を「作者の図像」に求めた例にジャン=リュック・ナンシー、フェデリコ・フェラーリ『作者の図像学』(二〇〇八年十一月、筑摩書房)があるが、そのような帰結はある程度予測できない事もない。林淑美の論も日本帝国の再生産の装置の一つであった日本近代文学の中に戸坂やプロレタリア文学と言う、今我々が持っている文学の中に抵抗の根拠を求めた帰結なのだろう。それらは実証的に昭和文学を読解する事と遠くない。しかし、これらの方法論的是非については未だ論者自身は差し控えたい。
さて、草間八十雄『都市生活の裏面考察』(『近代下層民衆生活誌』一九三六年、財団法人中央教化団体連合会)などによれば、昭和期浮浪者の大半が窮乏する農村から逃走した小作農であり、下層労働者ともその層を同じくしていた事が言及されている。昭和期的文脈に従って読めば、冒頭に掲げた「村の家」の孫蔵の言葉は地主兼小作農のものであり、要するに帰農した後、一家の家計の悪化により、遂には土地を手放す未来像の提起である。既に村からの流出者が多く出ており、いずれにせよ勉次はまた都市に帰る。「都市インテリがそのまま没落し乞食になる」と言う想起は、論者の手前勝手な杞憂であったわけである。戸坂潤はインテリジェンスを生きるための知識技能と位置付け、俗流インテリの悲哀を階級的に分析する事を批判した。
近代日本文学研究を文学と言うカノンとして見、記号論的注釈によって相対化するのでもなく、あるいはカウンターカルチャーへの全面的撤退を主張するのでもない道。文献解釈学の主観性を評価しつつ、実際的具体的に20世紀の相対性理論を正しく受け止める道。あるいは探られなければならないのは、近代日本文学研究の意義であり、社会的立ち位置であるのだ。
ある悲しさ
妄執や路傍で一人泣きぬる我を道行く人がけげんに見やる
上記の短歌は恐らく僕が作った短歌の中での最初で最後の最高傑作と言う事になるだろう。
なるほど、短歌と言うのは難しい。
一時期、僕は一週間に一本ほどづづ短歌を書きたいと思っていたのだが、全然創意が駄目で、自分で恥ずかしくなって投げ出してしまった。
これはよほどの習練と勉強を要するものらしい。
なんだか「悲しき玩具」の中で啄木が書いてた三日坊主の短歌投稿者の話みたいで恥ずかしい。
いや、その投稿者の方がよほど熟練していたのだろう。
また、少し勉強しはじめれば、また詠む事になるかもしれない。
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たとえ、短歌は詠めないまでも、日常生活にあって、<ある悲しさ>と言うか、ある瞬間的抒情みたいなものなんかはよくある話で。
そもそも上記の句もある時期の神経症的物悲しさみたいなもの、理由なく襲ってくる、恐らく妄想に起因するであろう、そしてもう真人間から脱落してしまったと言う確信を伴った悲しさをなんとか文学化したいと思って詠んだものだった。
その頃は、もう全く無我夢中でただ悲しがってばかりいた。
大学の講義中も僕はただ自分の妄想のために一人で赤い目をして、涙を流していた。
母親は自律神経の調子がおかしいのだ、と言い、それはよく幼時期には泣いた僕が、中高生の時期は涙一滴流さないと言う鼻もちならない人間になっていたからで、それがぼろぼろと泣くのはおかしいと言うのだった。
僕は今までの分を取り返すぐらい思い切り泣いた。
例えば、僕はいつもKBS京都の明日の天気予報の音楽を聞くたび、感傷的な気持ちになって仕方なかった。
それは僕のもう過ぎてしまった時間とこれから来る時間を思い起こさせるのだ。
そして、右も左も分からず、京都の大学に来て、なんだかわからないまま、一人で読書していた時期を思い返すのだった。
それはある自我の過剰な人間が徐々に神経症的隘路にはまり込んでいく過程であり、僕は「どうしようもなかったんです。ゆるしてください。」と言って泣いた。
あるいは深夜のビデオ店。
閑散としてしまって、もはやカップルも一緒にAVを見るホモソーシャルたちもいなくなってしまった店内で、僕はSF映画の羅列を見て、ただただぼんやり悲しかった。
あるいは、雨が降った後で見つかる、平面につぶれた蛙など。
その見るも無残な死は、この浮かれどきに人生の岐路を誤った自分を重ねてか、悲しかった。
和歌における啄木の感傷性を高く文学的に評価し、プロレタリア文学に革命として持ちこんだのは中野重治だった。
中野は当時の情勢から啄木を救おうとしたのだ。
彼の一連の初期詩論には見るべきものが多い。
そこには朔太郎の憤怒、があり、杢太郎、白秋の邪宗趣味があり、茂吉のエロティシズムがあり、啄木の感傷性、犀星のセクシャルな愛情があった。
中野には怒りの系譜があり、同時に抒情的な悲しみがあると思う。
それはともすれば、小林秀雄の中原中也、富永太郎への世界にも繋がっているのかもしれない。
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悲しみは強さなのだ、と言う半ばやけくそな結論に僕が達したのは、中野を通してであったし、ディックの問題であり、ニーチェの最後の悲惨を考えたからであった。
それしか、悲惨を乗り越え、救済する手段を知らなかったのだ。
つまりは、事態を悲しめる事から、まずはじめようと考えた。
それは決して無感情なものではないし、きっと高度な人間的機能なのだろう。
ある種の懺悔が、イデオロギー的に戦後機能してしまったとしても、その悲惨を見つめる態度と、救済性を僕は捨ててはならないと思う。
ニーチェは永劫回帰的に上演される英雄の死を悲劇的に繰り返し迎え、悲嘆にくれる事の逆説的英雄性をあの時語ったではないか。
最後にサブカルチャーを紹介しておく。
「境界線上のホライゾン」の主人公はヒロイン・自動人形ホライゾンに物語の最後(それは全体の物語の壮大なプロローグに過ぎないのだが)に悲しみの感情を手に入れさせようとする。
自動人形にもともと感情は無いので主人公の議論は永遠に平行線に続く。
しかし、平行線は地球が球体である限り、非ユークリッド的にはいずれ交わるのだ。
言わば、平行線の向こう側に、不可能が可能になる領域に<悲嘆>の感情は属している。
それはディック=士郎正宗的な魂の実在と救済の問題を受け継ぐものなのだ。
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つげ義春風の夢の話
私は割りによく夢を見る方で、特に神経症になってからはある種のイマージュに悩まされるようになった。
大体に於いてそのイメージは女にまつわるものであり、そのたびに私は未だある種の女に囚われ続けている事、自分では悟りきったと思っても未だに反復し続けていると言う事を身体的に理解するのだ。
多くの夢において、私の自由意志は存在していない。
私は大学に入って少し読書量も上向いてきてから、古本道楽の趣味ができた。
年に何回かある古本市にスノッブでなく、楽しんで参加できるようになってから(特に思想書は絶版も多く、割高であるが、目的のものをよく見つけられるようになっていた。)、好んで古本市に出かけるようになっていた。
さて、今日も古本漁りに熱中している私は地元に帰って来、出身の高校で開催された古本祭りに参加しているらしい。
露店は迷路のように入り組み、そして実際それは参加者を楽しませるための迷路らしいが、青色のしきりで仕切られていた。
学校は地理的条件は港からほど近い下町と言う、実際の私の高校そのものでありながら、事実として形容は中学校や小学校に近く、坂道に面している。
しかし、ついでに言うならば、事実としての高校は文化的廃墟とでも言ったらいいようなもので、古本市などと言う粋な催しを開催した事はなく、ほとんどかけ離れているのだ。
であるならば、この夢の中の古本市の学校は、全く虚構のいずれと知らぬ学校に相違ないだろう。
古本市の店じまいの時間もほど近くなった頃、私は坂道に面したはしっこの露店で古雑誌の類や古新聞の類を漁っていた。
恐らく、当時の文藝春秋や戦後まもなくの群像なんかだったと思う。
ついでに言えば、この夏季休暇に入る前に私は、研究のため、プロレタリア文学関連の新聞や雑誌を随分散策していた。
私は直接事実から細かな事象を拾いあつめると言う事の面白み、研究の面白みを理解しはじめたのだった。
実家のある地元に帰ってまでも古本漁りを続ける私を家族は呆れているらしかった。
私が興味を引かれたのは、一冊の古新聞だった。
確かそこには当時の戦後の共産党の論争が随分大きく載っていたのだと思う。
しかも安かった。
これを逃す手は無く、そして、今確保しなければ、いつお目にかかれるか知れたものではない。
しかし、店主はいない。
古本市ももうそろそろ店じまいの様相であった。
仕方なく、私は隣りの犬を連れた中年男性に尋ねた。
「すいませんが、店主はどこでしょうか。」
「それならば、向こうの下町のレコード店にいるよ。」
私はどうしてもレコード店にいかなくてはならぬはめになった。
そのような場所には縁もゆかりもなく、どちらかと言えば苦手だったが、このままこの古雑誌と古新聞を持ち去ってしまえば、それは立派な万引きになる。
私はどうしても店主とかけあわねばならぬのだ。
そして、店主とかけあってみれば、不釣り合いな値段もつけ間違いと知れるかもしれぬ。
気付けば学校の側の坂道に先程の犬(ダックスフンド犬だったと思う)が、中年男性にほっておかれ、腹をアスファルトに引き摺りながらこっちを見ている。
そうすると先程の中年男性が店主だったわけだ。
私は犬を頼りに、レコード店まで出かける事にした。
犬を散歩させるのは慣れない体験だったが、犬は私を引っ張ってどんどん行き、なんなくレコード店まで辿り付けそうだった。
辺りは軍港に近い港町で下町と商店街が広がっていた。
それは事実以上につげ義春的風景に見え、夕焼けに映えて、シュールレアリズムな光景に見えた。
しかし、この辺りの下町に親父あたりならノスタルジーもあろうが、私にはとんと無縁な土地だった。
私にある思い出と言えば、高校の頃面白がって無愛想な友人とどこまでも歩いた思い出だけだった。
友人は遂には寺にまで入って行った。
随分ゆかしい伝統のありそうな寺だったと思う。
学ランに身をつつんだ私達はすぐさまそこの奥さんに「何か」と誰何された。
この辺りの寺は完全に葬式仏教なのだろう、観光客などに開放もしていないのだろう。
私と友人は曖昧に笑って、すぐさま立ち去った。
友人は不機嫌そうに見えた。
彼は分かち難い無愛想であり、私の阿呆感を到底受け入れぬ無愛想であった。
しかし、ともかくも父はこの辺りで少年時代を過ごしたはずである。
あるいは事実としてはそんな商店街広がってないのだろう、架空の町の記憶なのだろう。
犬が匂いに引きつけられてしょうがないので、肉屋でコロッケを買って、わけあって食べた。
ある日父が二重焼きの露店のおじさんと祖父の事で喧嘩したのを思い出した。
あれだけ温厚な男が他人に怒るなど珍しい事であった。
あるいは、久々にねだられて連れて行った昔馴染みの散髪屋で気まずい思いをしている父も思い出した。
父が繰り返し話した、地元の下町の思い出、近所づきあいなどはもう彼にとっては遠い記憶であり、そして甘美であると同時に現実には再会の難しいものになりはてたのかもしれない。
そうだとすれば、私が感じている地元との距離感も結局は父も同様に感じており、私の考える温かい地元をまだ知っている父親と言う像も一つの偶像に過ぎないのであろう。
そうこうしているうちに本当にレコード店についた。
犬は私を見事連れて来たのだ。
レコード店は半分コーヒー屋のようであり、狭い店内に所狭しとレコードと本が並んでいたが、しかしここではうまいコーヒーと読書ができそうであった。
事実としてそんなこじゃれた店があるのかどうか、私は知らない。
店の前には自転車にまたがった女がおり、入ろうとする私を止めた。
私はなにやらこの女と面識があるような気が最初からしていた、あるいは同級生。
「何の用?」
「古本市のこの雑誌なんだけどさ、値段聞こうと思って。聞いたら、ここだって言うから。」
私にしては珍しく、女に対してすらすらと言葉が出て来た。
「ふうん。聞いて来てあげるよ。」
店の中に入って、女は店主と話しをするようである、あるいは店主はまた留守かもしれない。
私は「お前もたまにはいい事するじゃないか」と言う風に犬を見た。
犬は不思議そうに見上げるばかりであった。
店から再び出て来た女は冷たかった。
「○○円だってさ。」
その値段は市の値段より少し高かった。
私はまた、それらを買うかどうか思案しはじめた。それは手がでないと言う程ではなかった。
「そんな古い本買ってどうするの?」
「どうって、読むのさ。古い雑誌なんて、おもしろいだろう?」
女は何か怒っているように見えた。
「犬なんか、可愛がんないでよ。」
すれば、犬に愛想よさそうにしていた女は私の勘違いだったわけだ。
犬も役に立たないが、それにしてもここまで連れて来てもらった犬と私の間には友情がある。
「犬にあたるなよ。」
女は私を睨みながら、言った。
「犬なんて……。あんたにとってはこれが二度目じゃない。」
私は眼を覚ました。
この言葉には二つの意味があると私は考えた。
一つは女は私が犬を自分の代りに可愛がっていると思っていると言う意味だ。
女は恐らく過去、私に捨てられたのだろう。
しかし、私にはその覚えはない。
そうすれば、女は恐らく父と関係のあった女性なのだろう、あるいは私の前世か。
二つ目は、女に言わせれば、私のこの夢全体が二度目であると言う意味である。
私が二度目にここに来て、そして、再び女と恋愛関係に陥ろうとしている。
あるいは、前世の私は父であり、父として女を愛したのだ。
そして、今再び子としても女を愛そうとしている。
夢判断は専門じゃないが、久々に哲学的な夢を見た気がした。
エア文学フリマ――エア冊子斎藤慶次「さようなら、ポストモダン」
2011年の文学フリマに行けなかった怨念をこめて、エア文学フリマと称し、勝手に今まで文フリに出した文章まとめて冊子にしました。
ツイッターでもあげたんですが、まあ、ここにも適当においとこうと思います。
解説はネマノ氏に頼みました。
暇なら見てください。
https://docs.google.com/#folders/0B2WFsGt3lzFsYTM1ODQ4MTYtMGI2OC00MjRhLTgzZDctMDQ1NzI2ZmMwOTE1