ある悲しさ

妄執や路傍で一人泣きぬる我を道行く人がけげんに見やる

上記の短歌は恐らく僕が作った短歌の中での最初で最後の最高傑作と言う事になるだろう。
なるほど、短歌と言うのは難しい。
一時期、僕は一週間に一本ほどづづ短歌を書きたいと思っていたのだが、全然創意が駄目で、自分で恥ずかしくなって投げ出してしまった。
これはよほどの習練と勉強を要するものらしい。
なんだか「悲しき玩具」の中で啄木が書いてた三日坊主の短歌投稿者の話みたいで恥ずかしい。
いや、その投稿者の方がよほど熟練していたのだろう。
また、少し勉強しはじめれば、また詠む事になるかもしれない。

一握の砂・悲しき玩具―石川啄木歌集 (新潮文庫)

一握の砂・悲しき玩具―石川啄木歌集 (新潮文庫)

たとえ、短歌は詠めないまでも、日常生活にあって、<ある悲しさ>と言うか、ある瞬間的抒情みたいなものなんかはよくある話で。
そもそも上記の句もある時期の神経症的物悲しさみたいなもの、理由なく襲ってくる、恐らく妄想に起因するであろう、そしてもう真人間から脱落してしまったと言う確信を伴った悲しさをなんとか文学化したいと思って詠んだものだった。
その頃は、もう全く無我夢中でただ悲しがってばかりいた。
大学の講義中も僕はただ自分の妄想のために一人で赤い目をして、涙を流していた。
母親は自律神経の調子がおかしいのだ、と言い、それはよく幼時期には泣いた僕が、中高生の時期は涙一滴流さないと言う鼻もちならない人間になっていたからで、それがぼろぼろと泣くのはおかしいと言うのだった。
僕は今までの分を取り返すぐらい思い切り泣いた。

例えば、僕はいつもKBS京都の明日の天気予報の音楽を聞くたび、感傷的な気持ちになって仕方なかった。
それは僕のもう過ぎてしまった時間とこれから来る時間を思い起こさせるのだ。
そして、右も左も分からず、京都の大学に来て、なんだかわからないまま、一人で読書していた時期を思い返すのだった。
それはある自我の過剰な人間が徐々に神経症的隘路にはまり込んでいく過程であり、僕は「どうしようもなかったんです。ゆるしてください。」と言って泣いた。

あるいは深夜のビデオ店。
閑散としてしまって、もはやカップルも一緒にAVを見るホモソーシャルたちもいなくなってしまった店内で、僕はSF映画の羅列を見て、ただただぼんやり悲しかった。

あるいは、雨が降った後で見つかる、平面につぶれた蛙など。
その見るも無残な死は、この浮かれどきに人生の岐路を誤った自分を重ねてか、悲しかった。

和歌における啄木の感傷性を高く文学的に評価し、プロレタリア文学に革命として持ちこんだのは中野重治だった。
中野は当時の情勢から啄木を救おうとしたのだ。
彼の一連の初期詩論には見るべきものが多い。
そこには朔太郎の憤怒、があり、杢太郎、白秋の邪宗趣味があり、茂吉のエロティシズムがあり、啄木の感傷性、犀星のセクシャルな愛情があった。
中野には怒りの系譜があり、同時に抒情的な悲しみがあると思う。
それはともすれば、小林秀雄中原中也富永太郎への世界にも繋がっているのかもしれない。

中野重治全集〈第1巻〉詩集 春さきの風

中野重治全集〈第1巻〉詩集 春さきの風

作家の顔 (新潮文庫)

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悲しみは強さなのだ、と言う半ばやけくそな結論に僕が達したのは、中野を通してであったし、ディックの問題であり、ニーチェの最後の悲惨を考えたからであった。
それしか、悲惨を乗り越え、救済する手段を知らなかったのだ。
つまりは、事態を悲しめる事から、まずはじめようと考えた。
それは決して無感情なものではないし、きっと高度な人間的機能なのだろう。
ある種の懺悔が、イデオロギー的に戦後機能してしまったとしても、その悲惨を見つめる態度と、救済性を僕は捨ててはならないと思う。
ニーチェ永劫回帰的に上演される英雄の死を悲劇的に繰り返し迎え、悲嘆にくれる事の逆説的英雄性をあの時語ったではないか。

最後にサブカルチャーを紹介しておく。
境界線上のホライゾン」の主人公はヒロイン・自動人形ホライゾンに物語の最後(それは全体の物語の壮大なプロローグに過ぎないのだが)に悲しみの感情を手に入れさせようとする。
自動人形にもともと感情は無いので主人公の議論は永遠に平行線に続く。
しかし、平行線は地球が球体である限り、非ユークリッド的にはいずれ交わるのだ。
言わば、平行線の向こう側に、不可能が可能になる領域に<悲嘆>の感情は属している。
それはディック=士郎正宗的な魂の実在と救済の問題を受け継ぐものなのだ。

悲劇の誕生 (岩波文庫)

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流れよわが涙、と警官は言った (ハヤカワ文庫SF)

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