備忘録とアウトライン

 「村の家」の中の孫蔵の言葉に「しかし百姓せえ。三十すぎて百姓習うた人アいくらもないこたない。タミノじやつて田んぼへ行くのがなんじやい。」と宣告した後に、「食えねや乞食しれやいいがいして。それが妻の教育じや。」と続ける場面がある。東京なり京都、大阪の都市生活者であり、大学にまがりなりにも籍を置く我々がこの時想起しがちなのは、都市で職を失い、路傍の人となる未来であり、あるいは故郷の父母の叱責であろう。蓋然性としてある都市インテリの悲哀は、想像に難くない事象である。それが妻を持ったのち共に乞食になる、と言う像なら殊更自身の罪悪感も強まってくる。
 人文学の知の価値保存、あるいは人間的倫理の啓蒙と言う偉大な役割が、ルネッサンス以降ヨーロッパ大学組織を中心に付与されてきたとしても、十九世紀近代以降の大学に一方では都市インテリの雇用のセーフティ・ネットとしての役割があり、彼等の浮浪者への脱落を防いできた事実はある程度認めざるを得ないだろう。戦後になるが、宮出秀雄『ルンペン社会の研究』(一九五〇年、改造社)において、アナーキスト運動の流れを汲む反動として、「ルンペン・インテリゲンツィア」なる概念が提起されている。戦前の武田麟太郎の浮浪者を描いた市井小説など、それらの表象の代表的なものであろう。
 日本近代文学研究の中で「文化研究」として主張された、カルチュラル・スタディーズの受容とそれに対する反論において、それらがアカデミズムにおいて成される日本近代文学研究の意義と実証性の有無、ひいては研究倫理も問題にしてきた事は明らかである。林淑美は、「最近の近代日本文学研究におけるある種の傾向について」(「日本近代文学」一九九八年五月)において、文化研究の「再生産」の概念に先行するものとして、戸坂潤の「生産様式」論があると指摘している。林の主張は大きな示唆を与えるものであり、本論の企図するところと大きな因果関係を持っている。戸坂は「無の論理は論理であるか」(『日本イデオロギー論』一九七七年九月、岩波文庫)において、ジャーナリズム哲学である西田哲学のアカデミズムへの流入を指摘している。ニューアカないしテクスト論に関した大学の事象を想起せざるを得ないが、端的に言えば規模の違いはあれ、ジャーナリズムとアカデミズムは日本において相克と流入を繰り返して来たのである。
 西田哲学を弁証法ではなく、現象学であると規定づけた戸坂は見事としか言いようがないが、フッサールも学(ウィッセンシャフト)としての哲学的位置づけにこだわった。

しかし、もし諸科学がこのように、客観的に確定しうるものだけを真理と認めるのだとしたら、また歴史の教えるのが精神的世界のすべての形態や人間生活を支え拘束するもの、すなわち理想や規範は束の間の波のように形づくられてはまた消えてゆくものだということ、それはこれまでもつねにそうであったし今後もつねにそうであろうということ、いつも理性が無意味に転じ、善行がわざわいになるというようなことだけなのだとしたら、世界と世界に生きる人間の存在ははたして本当に意味をもちうるものであろうか。
(『ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学』一九七四年四月、中央公論社

これらは二十世紀の学問の立ち位置を問うものであると同時に、双方それぞれ重要な示唆を与えてくれる。構造主義が文献解釈学のマルクス主義化に過ぎず、テクスト論もまたそれらの系類に当たるとすれば、近代日本文学研究が今一度「実証性」と「主観性」を問題にし、作者概念あるいはその本質主義を検討するのはあながち間違いではない。
ポスト構造主義が「作家の死」を半ば否定し、テクストの本質的な読解、あるいはその本質を「作者の図像」に求めた例にジャン=リュック・ナンシー、フェデリコ・フェラーリ『作者の図像学』(二〇〇八年十一月、筑摩書房)があるが、そのような帰結はある程度予測できない事もない。林淑美の論も日本帝国の再生産の装置の一つであった日本近代文学の中に戸坂やプロレタリア文学と言う、今我々が持っている文学の中に抵抗の根拠を求めた帰結なのだろう。それらは実証的に昭和文学を読解する事と遠くない。しかし、これらの方法論的是非については未だ論者自身は差し控えたい。
 さて、草間八十雄『都市生活の裏面考察』(『近代下層民衆生活誌』一九三六年、財団法人中央教化団体連合会)などによれば、昭和期浮浪者の大半が窮乏する農村から逃走した小作農であり、下層労働者ともその層を同じくしていた事が言及されている。昭和期的文脈に従って読めば、冒頭に掲げた「村の家」の孫蔵の言葉は地主兼小作農のものであり、要するに帰農した後、一家の家計の悪化により、遂には土地を手放す未来像の提起である。既に村からの流出者が多く出ており、いずれにせよ勉次はまた都市に帰る。「都市インテリがそのまま没落し乞食になる」と言う想起は、論者の手前勝手な杞憂であったわけである。戸坂潤はインテリジェンスを生きるための知識技能と位置付け、俗流インテリの悲哀を階級的に分析する事を批判した。
 近代日本文学研究を文学と言うカノンとして見、記号論的注釈によって相対化するのでもなく、あるいはカウンターカルチャーへの全面的撤退を主張するのでもない道。文献解釈学の主観性を評価しつつ、実際的具体的に20世紀の相対性理論を正しく受け止める道。あるいは探られなければならないのは、近代日本文学研究の意義であり、社会的立ち位置であるのだ。